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Author:マナ
ジャパンからタイ そしてとうとう韓流へと旅立ってしまった・・
どこまでワタシはアイドル好きなんだ・・・!
わが子たちに呆れられながらも猛突進中!
彼らを見てると癒されます☆

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明日 母は。。

施設へ移ることとなりました
昨日 病院から急遽呼び出され 何の話かとドキドキしてたら施設に空きがでたっていう話
そこの施設は病院の系列で なかなか施設選びのすすまない状況だったので なかば半強制的に申し込みさせられたというかんじ
とにかく病院は 行き先が決まるまでしつこくしつこく呼び出してくれます
も〜 ほんとに 勘弁して〜って状態
とにかく動ける人間がワタシ一人で どうにもこうにも相談できる人もいなくて
なかなか先にすすめることができなかった
ま、やっぱり 疲れからか現実逃避していたんだろう、といまさらながら反省している
その施設も3ヶ月くらいで出ないといけないということなんだけど
見学もしていないし 金額的なものもまったくわからないまま
昨日 その場で即決断をせまられ しょうがないな まだほかの施設どこにも申し込んでないし
まだまだ在宅介護は無理だし ってことでとりあえず入れてもらうことにした
先生の話では
あまり母の状況は 変わりがないので ってことを言われた
何をいってるんだか・・・転院したころに比べるとはるかに良くなってますよ 
手もよく動くようになったし 言葉もずいぶん出てきて 
先生 何を見てたのやら・・
なんて だんなと話をした でもまぁ 医者からみて 今までの症例によると そうなんだろうなって
だんながいうには 今の病院はリハビリ病院と名をうってるけどあのリハビリを見る限りじゃ一生ようならんわ って 手厳しいお言葉(苦笑)因みにだんなは医療関係にはまったく詳しくはない(苦笑)
施設でも どの程度のリハビリが行われているのかわからない
なにもわからないままの入所ですjから ほんとに先が不安でしょうがないです
しかも 我が家からかなり遠くなって 今までのように仕事帰りにほぼ毎日通うことなんて
できそうにありません
仕事帰りに病院に行くのはすごくしんどいときもあったけど
近かったのでなんとかやってこれました
今度はどうにも無理です
寂しいなぁって思いが湧いてきます
やっぱり我が家から近くて 自分たちの目で確認してから決定した所でないと
だめですね もっと施設探しに気合を入れないといけなし
いずれは自宅に帰らせてやりたい思いが強くなってきたような気がする
どの程度のことを把握してる母なのかわからないけど
きっと家に帰りたいという感情は出てきたんではないかな
最近 なんとなく今の状況がわかってきたような様子ですし
最終的には在宅で介護 できることならそうしたいです
妹と違って 母とずっと一緒に暮らしてきたワタシにとっては 母のいない家は寂しいと
母がいなくなって 初めて気づかされたという感じ
なんて親不孝なアタシだったのでしょうか〜 ほんとに・・許しておくれ〜〜!

そんなわけで 明日はバタバタしそうです;;

テーマ : 頑張れ自分。 - ジャンル : 日記

現在リハビリ進行中

脳室→心臓へのシャント手術が行われたのが確か5月の初め。。
長かったです、ほんとに。。
心配された感染症のほうもなんとか無事だったようで
母は 少しずつ意識のほうもはっきりしてきました
といっても 脳の前頭葉をやられちゃってるので いろいろと後遺症は出てくるだろうと言われてましたから それでも 手をぎこちなくではあるけど動かし 頷いたり ぼそぼそしゃべってみたり(まったく聞き取れませんが) 反応が出てきました
リハビリの様子も何度か見ました  名前を呼ぶと 返事をする そのうち笑ったりと 表情も少し出てきた それだけでもほんとに嬉しかった
ワタシが誰なのか わかる?って聞いても なかなか返事がないとこを見ると 完全に思い出せないようです
それでも あの頃に比べたら嘘みたいだ・・
嘔吐もなくなったので 経口食も始まって 点滴の数も減ってちょっとだけ 前に進んだ気がしました

症状も落ち着いてきたので そろそろ転院を といわれ
急性期の病院から リハビリ病院の転院となったのが6月半ば
本当は 発病してから半年がこようとしており 水頭症で手こずっている間にリハビリのリミットはもうすでにきてしまったわけで療養型の病院を薦められたんだけど どうしても 望みを捨てきれなくて
ダメもとで リハビリ期の病院にお願いをしてみました
いろんなブログを読みあさって 同じ脳卒中を患いけん命にリハビリをがんばっていらっしゃるその家族の方の前向きな思いに感動して
人間の脳は未知なのだ、 どこまで回復するかなんて こればかりは医者もわからない
教科書どおりにはいかないんじゃないか
可能性があるなら少しづつでも 長くかかっても 前へ前へと進めたら こんな嬉しいことはないんだもん そんな結論に達したわけです

そして 今 リハビリの効果は少しずつ見られ まだ自分で起き上がることはできませんが
手の動きも かなり細かくなってきました
といっても まだ思うように使えるわけじゃないけど なんか だいぶ 昔の母親に近づいてきたような・・・
まぁ 見た感じは むくみもとれて 手術のために坊主にされちゃった髪も伸びて って感じです
現在は胃ろうで まだまだ嚥下障害があるんだけども 痰とりするほどもなく 声も 少しずつ出てきて
聞き取れることも
しかし これも 日によっていろいろと反応が違うんですけどね
リハビリの様子をちょくちょく見させてもらうんですが
なんだか若いお兄ちゃんばかりで ちょっと声かけが足りない気が・・・
ワタシが思うには 若いギャルが キャピキャピした声でやってくるほうが 刺激になるような・・・
いやいや、そんなこといっちゃいけません
お兄ちゃん方もよくやってくれてます
だって 声かけても まるで反応しない時もあるんだから ねばり強さが必要だよね
こちらの言ってることをどこまで理解してるのかは
まだ会話が成り立たないので はっきりとはわからないんです
リハビリの途中にワタシが訪ねていくと 
あぁ〜!って感じでこっちを見て笑うんですよ
でもすぐ無反応になってしまったり・・・
まぁとにかく こりゃ大変だわ...

脳の機能はどれだけ回復するものかはわからないけど
とりあえずの目標として 嚥下が出来るようになって
喉ごしのよいものが食べれること
車椅子に少しでもながく座っていられることができるようになること
少しでも意思の疎通が出来るようになること

そんなふうになってくれたらいいな〜〜



テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

水頭症との闘い

ありゃ・・またブログ更新する手が止まってしまった・・
なんでだろう・・?
PCに向かうと睡魔に襲われる〜
自分でいうのもなんだが 疲れちゃってんだろうなぁ・ワタシ・

さて 血管れん縮がおさまった後の母親の経過だが
合併症として水頭症がひどくて はやいうちにシャント手術をしたほうがいいだろうと
医者から言われた
あのあたりが一番症状がひどくて見てられなかった
いびきをかいて寝てるけど 時折痙攣が起きていて このまま呼吸が止まるんではないかと
見てて恐かった

シャントをすればこの症状は改善しますとの医者の言葉で
頼むから早くしてくれ・・というわらをもつかむ心境だった
で、手術は2月22日に無事行われ なんとか改善の兆しが見え 母は一般病棟に移ったわけだが その後の経過が良くなくて よくよく検査してみると
脳室から腹膜に埋め込んであるチューブがどうやらつまっているらしいとのこと。
隋液が腹膜へとうまく流れてなかったわけです
チューブの位置を変えてもダメで 結局は感染症を起こし 軽い腹膜炎になってしまいました

結果 脳室→腹膜へのシャント手術は母親には適してなかったってことです
で もう一つの手段として 脳室→心臓へのシャント
この方法しかないというではありませんか。。。
しかし この方法は 感染症を起こしてしまえば命を落としかねないと言われ とにかく体調が万全になるまでときを待つということだったのです
そして 何回か 手術を試みようとしたわけですが 微熱はすっと続いているし 抵抗力も当然おちているし 今の母に万全な体調なんてそうそうあるわけありゃしません
そのつどそのつど 手術延期・・
一ヶ月以上もの間 水頭症のまま 意識レベルも低く 植物状態に近い母親を見舞う日が続きました
もしかして もうこのまま手術できずに 水頭症で命を落としてしまうんじゃないかという不安
八方塞なもどかしい思い 毎日毎日が苦しくて 病院からの帰りはいつもナミダがとまりませんでした
脳圧が上がってしまっているので 経口食を鼻から入れても 嘔吐してしまうということで 点滴で栄養を送るしかなく これじゃ抵抗力なんてつくわけないわ・・
そんなこと思いながら 低栄養のためすっかり浮腫んでしまった顔や手をマッサージしてみたり 必死に呼びかけてみたり 
でも 何度も落胆しては また 立ち上がるしかなく ほんとに この時期は
試練の日々でした
母とワタシたちに 明るい日が 少しでもさす日がくると
もう信じるしか道はなかった
祈ること 信じること そうすることしかなかったわけです
今思い返してみると
もう出来れば あんな思いは
したくないなぁ・・・
ほんとに 辛くて辛くて 
ワタシは 長女であるし 同居してるし 自分しかいないんだ 自分がやらなきゃ誰もやってくれない
すごく重圧も感じつつ これは自分に与えられた試練だと 思ってやるんだけど
やっぱり ココロが何度も折れました
運転中とか入浴中とか 一人になると 泣いてました
ダンナはやっぱり 実の母親ではない だからワタシとは当然思いに違いが出てくるわけで・・・
母親の兄弟は 男しかいない 残念ながら こういうときは 母に女姉妹がいてくれたらどれだけ心強いだろうと 思ってしまった・・・
叔父たちは 何かあると心配して来てはくれますが 申し訳ないけど
う〜〜〜ん・・・ って感じだった
妹は妊娠中だったので ムリはいえないし・・・
結局 一人でやるしかないんだわ・・・
周囲のヒトは 
しっかり親孝行してあげて
とか
結局あんたしかおらんのんよ お母さんのこと見てあげるのは
とか
色々言葉をかけてくださるわけだけど
それが一気に肩にのしかかってきて
みんな心配してくれてるんだと頭ではわかっていても 
キモチがうまくついていけてなくて 苛立ちさえも覚えた そんな精神状態だったなぁ
とにかく 不安に押しつぶされそうになって
一人で耐えた そんな状況は 生まれて初めてだったかもな・・

でも なんとか そんな状態から脱出できるときがやっと訪れてくれたのでした


テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

ICUでの母

今日も暑い一日だった〜
あとどのくらいこの暑さ 続くんだろうか・・
今日は仕事が終わるの遅くなって 母親の病院には行かれませんでした

倒れた翌日 一時間だけの面会というICUで 母は元気にしゃべることができました
でも ワタシが誰なのかわかってなかったわ〜
自分の名前とかはわかってたみたいで 妹がいうには娘の名前はわかってたけど
顔と一致してなかったってことらしい
くも膜下発症後の経過として 血管れん縮というものがあって その過程で 脳梗塞が高い確率で発症するのですが それは一週間くらいから始まるだろうと医者に言われてて 最悪の場合命をおとすことも なんて聞いてたもんだから 電話が鳴るたびにビクビクする毎日
仕事に行き始めたものの 精神的に落ちまくり 不安でどうしようもない気持ちのまま仕方なく仕事をしてるといった状況
あんなに辛い毎日を経験したのは 初めて。。
過去にも 自分なりに 辛い日があったり 落ち込んだりしたこともいくつもあったけど あれほどまでにしんどかったことはなかった
血管れん縮が始まるまでの10日くらいは ご飯はフツーに食べるし 点滴を引っこ抜いたり 水頭症の応急処置に腰から入っている管を抜いたりしてまぁ元気だった

でも 医者に言われたとおり 10日目からそれは始まり 夜中に病院から呼び出しの電話が
”脳梗塞がおこってるのですぐ処置をします”

それから何回か 脳梗塞に対する治療が行われてて 
医者には 生命維持も含めて厳しい とか 植物状態とか それはもう絶望的な言葉の嵐 嵐。。
そんなこと言われても そんな言葉をハイハイって素直に聞けないぞ
なんか もう 絶望の淵を歩いていたって感じでした
脳梗塞は思ったほど広がらなかったらしいですが
今度は水頭症のほうが なかなか処置ができずに 放置状態で それからの母は 面会に行っても
いびきを激しくかいて 寝てるばかりでした
水頭症がすすんでしまっているので 状況を見て水頭症の手術をするとのことで
それによって 今の症状は改善されるということ
しかし くも膜下出血の重さは グレード5のうちの4 
今後は介護が必要と 医者の説明には そんな言葉が毎回入ってました
ココロの中では (もうわかったよ、そんな何回も言わなくても)
正直思ってました
しかし ここからが大変だった
面会にいくのが辛くてしかたないそんな状況が始まってしまったのです





 

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母が倒れた日のこと

今日も暑い一日でしたわぁ〜
仕事と病院通いの両立が
けっこう大変だぁ

今は 母親は急性期の脳神経外科から転院して
リハビリ病院に入院中

母が倒れたのが2月2日
娘が第一発見者です
今年の冬は寒かったですからね〜
脳卒中の起こりやすい そんな時期でもありそんな時間帯でもありました
その時のことは あまり思い出したくないのですが・・

なにせ 当日も なんの変わりもない母でしたから
救急車で運ばれたその日は
母にいったい何が起こったのか
状況を把握できずに ただただ 診断を待つしかありませんでした
かなりひどいくも膜下出血と聞かされ 水頭症も併発(この先は この病気に苦しめられることに)
手術ができない場合は助かる確率はかなり低い
覚悟してくれとか 親族を呼ばれたほうが とか最悪のことを言われたんんだけど
医者の言葉が上手い具合に頭に入ってこなくて
とりあえず 手術の成功を祈るのみでした
この日は ふだん顔を合わすことのない親戚同士が
集まって 手術中にとりとめのない話などもしたりと 今から思うとまぁこんな機会も葬式や法事ぐらいしかあるまいと(縁起悪いなぁ・・)思ったり・・

父親は ワタシが幼少の頃に亡くなっているので
もうひたすら天国にいる父に
まだ連れていかないで!
と お願いするしかありませんでした
おかげでなんとか命をとりとめた母ですが
医者の話では
まだまだ ヤマはいくつもやってくるらしく
その日は 家に帰っても
一睡もできず
娘の布団にもぐりこみ しかも 息子にも同じ部屋で寝てもらい
なんとも情けないワタシでした
わが子たちも たぶん ココロ細かったんでしょうね。。
お願いだから 母親が夢枕に立つことがありませんようにと
思いながらも ほんとに 寝られなかったなぁ この日は。。


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